ワイナリーについて
ライヒスラート・フォン・ブールは、1849年にフランツ・ペーター・ブールによって設立されました。かのメンデルスゾーンもワイナリーを訪問したことがあり、彼らの作るワインの質の高さに驚き、友人宛の手紙に「しかし、もしあなたがライヒスラート・フォン・ブールに行ったことがなければ、”森のリースリング”というものが何かわからないだろう」と書き送ったそうです。
その後、フォン・ブールのワインは世界で最も高価なワインのひとつとなり、1869年のスエズ運河の公式開通式では、乾杯のために掲げられたグラスにフォン・ブールのリースリングワインが使われました。また、ドイツのオットー・フォン・ビスマルク首相もブールワインの大ファンでした。このように各界の著名人に愛され、ライヒスラート・フォン・ブールは、29ヘクタールのグラン・クリュ畑であるウンゲホイヤーの最高の区画を常に所有しています。
ライヒスラート・フォン・ブールは、150年以上にわたって、家族経営のワイナリーとしてドイツで最も名高いワイナリーの輪に加わってきました。1849年の創業以来、ライヒスラート・フォン・ブールは、テロワールを主体とした時代を超えたスタイルでワインを造っており、流行に左右されることなく、常にダイデスハイマーとフォースターの最高の土壌にあるブドウの起源を大切にしています。ライヒスラート・フォン・ブールは有機栽培の認定を受けており、自然でサステナブルなブドウ栽培と最高のドイツワインという2つを両立しています。
ファルツは幅わずか9マイル(15km)の狭い土地で、芽吹き始めたブドウ畑、肥沃な果樹園、絵のように美しい木組みの村など、穏やかな風景の中に広がっています。栽培面積ではドイツで2番目に大きなワイン産地で、北に隣接するラインヘッセンに次ぐ規模を誇ります。ファルツはそこから南へ85kmのフランス国境まで伸びており、フランスのワイン生産地アルザスとの国境をなしています。西側はファルツァーヴァルトの高地によって守られ、冷たい風と激しい雨から守られており、東側はライン川の低地に接しています。ブドウの木と人の比率が600:1という、美しくのどかな風景を楽しむことができる場所です。
ファルツはブドウ栽培にほぼ完璧な条件を備えており、年間日照時間が約1,800時間と、ドイツで最も暖かいワイン生産地のひとつです。夏は乾燥していますが暑すぎず、冬は温暖で、地中海性気候に近い微気候が形成されています。土壌は砂岩、石灰岩、泥灰土、ロースローム、花崗岩、スレートなどさまざまです。石灰岩は特に北ファルツに多く、黄土とロームは南ファルツに多く見られます。2008年には、ファルツはほぼ5,500ヘクタールの栽培面積を持つ、世界最大のリースリング栽培地域となりました。
ファルツには、長く波乱に満ちたブドウ栽培の歴史があります。まずは紀元前550年頃のケルト人の墓から、ワイン醸造の痕跡が見つかりました。そしてケルト人の後、ローマ人がワイン造りを奨励しましたが、彼らがこの地を去った後、ワイン造りはすっかり放棄されてしまいました。7世紀にキリスト教の修道院がブドウ栽培を復活させるまで、ブドウ畑は休眠状態にあったのです。12~13世紀には、歴史的な文書や土地証書に、現在のようなブドウ畑の名前が初めて登場します。
17世紀には、30年戦争の略奪と略奪軍によって、この地域のブドウ栽培は壊滅的な打撃を受け、更に19世紀に入ると、ファルツのほとんどがフィロキセラの被害を受け、ヨーロッパのブドウの木の大半が壊滅状態に陥ったのです。
その結果、ノイシュタットのブドウ栽培研究所(Weinbauschule Neustadt)が設立され、研究を行い、現在も後進のブドウ栽培者を教育しています。その結果、この地域には、ドイツで最も古いブドウの木があるのです。樹齢400年近い古木から、今もトラミネール種のブドウが生産されています。